「スポーツカーは人生そのもの」藤島知子とポルシェ718ケイマンGTS 4.0

10台の愛車のうち5台がスポーツカーというモータージャーナリストの藤島知子さん。記念すべき1台目は運転免許を取得したとき、「絶対に買う」と決めた3代目RX-7だった。そして今、念願のファースト・ポルシェを入手。彼女のスポーツカー・ライフはまだまだ続く。

はじまりの1台

私が20代のとき、もしもマツダRX-7を購入していなかったら、きっと、今とは全く違った人生を歩んでいただろう。

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幼いころからクルマに興味を持っていた私は幼稚園バスから周囲を走るクルマを眺めるのが好きな子供だった。小学生になると、通学路にあった鈑金塗装屋さんに寄り道するのが日課になっていた。今考えると、毎日クルマを見に来る小さな子供を快く迎えてくれたショップのお兄さんのおかげで、さらにクルマへの興味が深まったのだと思う。

しかし、クルマを眺めるのは好きだったけれど、運転席は父親だけが座る聖域という印象があったせいか、私は18歳を過ぎても運転すること自体に興味を持たなかった。周囲の友達は当たり前のように免許を取得していたが、我が家はあまり裕福な家庭ではなく、免許取得のお金をもらえなかったこともあり、教習所に通うことはなかった。その当時の私にとって自ら運転することは現実的ではなかったのだ。

社会に出てしばらく経ったある日、女友達のクルマで自宅まで送ってもらった道中で「そういえば私、なんで免許を持ってないんだろう?」と運転しない自分に気付いた。それをキッカケに教習所に通い詰め、わずか2週間ほどで運転免許を取得した。

クルマが運転できるようになったら、メカニズムも運転の仕方もろくに知らないくせにRX-7が欲しくなった。他のクルマとは比較にならないほど低いフロント・フードなど、ストイックなオーラを放つ美しく儚げに佇むスタイリング、なかでも最終型で設定されたイノセントブルーのボディカラーがあまりにも印象的だった。そんなRX-7に心を奪われた24歳の私は無謀にも「あのクルマを買おう」と心に決めたのだ。

最初に所有したのは知人に安価で譲ってもらったポンコツのオペル・オメガ・ワゴンだった。このクルマで車両感覚に慣れた半年後、頭金の100万円を手にディーラーを訪れ、遂に5年ローンで新車のRX-7を購入する。

RX-7は数ヶ月後に納車された。ご存じの通り、RX-7はかなり本格派のスポーツモデル。ロータリー・エンジンは低速域でのトルクがひと際薄く、すぐにエンストしてしまう。教習車のクラウン・コンフォートの運転さえおぼつかなかった私にとってRX-7の運転はハードルが高く、転がすだけで精一杯。当時のMT車はヒルスタートアシストなんて機能は付いていなかったので、坂道発進で意を決して半クラッチを繋いでいたことを今も甘酸っぱい青春の1ページのように思い出す。

気が付いたら20年

数年経ち、ようやくクルマに慣れてきた頃、RX-7に乗っていたことが縁でレース関係者と知り合いになり、チームのレースクイーンを務めさせていただくことになった。地味な性格の私は短いスカートを穿いて人前に出ることに最後まで慣れなかったが、バックヤードから眺めるレースの世界はあまりにも非日常的で、まるで夢を観ているようだった。

その翌年、転機は突然訪れた。

「ビギナー向けの軽自動車のワンメイク・レースが始まるのだけど、ドライバーとして参加してみないか?」と提案されたのだ。

その話を聞いたとき、MTのRX-7をただ一般道で転がしていることと、サーキットでレースをすることがあまりにかけ離れたことのように思えた。その一方で、大好きなクルマを使って未体験のことにチャレンジすることを想像しワクワクを抑えきれなくなっていたのも事実だ。気が付けばもはや断るという選択肢はなくなり、できるかどうかも分からないのに「やらせてください」と口にしている自分がいた。

「本当にサーキットなんて走れるのかしら?」と思ったものの、時すでに遅し。レース参戦の準備は私の不安をよそにトントン拍子に進んでいく。B級そして、A級ライセンスを取得。スポーツドライビングのスの字も知らない私はヒール&トーの練習をしに夜な夜なRX-7で箱根に行き、初戦に臨んだ。

実際のレースでは、私のドライビングは繊細な操作からは程遠く、慣れないFF車の動きに翻弄され、派手なスピンやクラッシュで痛い目をみることもあった。それでも、支えてくれる人たちに励まされ、1年、また1年と続けてきた。軽自動車からスタートしたが、その後、ミドル・フォーミュラカーを経験させてもらったり、マツダ・ロードスターのナンバー付きレース車両を3代目と4代目の2台に亘って自分自身で購入して参戦したりなど。まだレースを続けたいという思いで20年以上もシリーズ戦に参戦し続けてきた。

レースと同時にジャーナリスト活動を始めた私だったが、クルマを評価するには、ある程度の運転スキルがなければ、そのクルマがどんな性格の持ち主で、どんな操作をしたら、どんな挙動を起こすのかをきちんと伝えることができない。レースはイコールコンディションで競い合う。つまり、自分の足らないことを思い知らされるのだ。車速域が低い一般道のドライブでも、考えながら操作を試し、ちょっとした気づきが得られることもある。

言葉にしがたい充実感

私はレースを始めて以来、これまでに10台のクルマを所有した。最初のオメガ以外はすべて2ドア・モデルで、5台がスポーツカー。ちなみに、10台のうち7台がMT車だ。改めて考えると、やはりスポーツカーが大好きなようだ。

機能性を形にしたスポーツカーは美しい。9台目のV12エンジンを搭載するアストンマーティンDB9はまさにそれを体現したクルマだ。知人に譲ってもらって以来、もうすぐ4度目の車検を迎えるが、映画『007』のボンドカーのイメージが重なる気高くも孤高の存在は、今も眺めているだけで溜息が漏れる。

そして2024年、10台目の愛車としてポルシェを購入した。時代の変化を受け止めながらも、生粋のスポーツカーとしての理想を貫くポルシェは永遠の憧れだった。ようやく辿りついた私のファースト・ポルシェはケイマンGTS4.0。ターボが主流の今では貴重な水平対向6気筒 4.0リッター自然吸気が奏でるサウンドは、どこかノスタルジックなビートを奏でるもので、まるで生きもののように私に語りかけてくる。

ポルシェはどのモデル、どのグレードでも、走るステージに合わせて最適に造り上げられている。まるでドライバーの手足のようにクルマが身体に馴染み、操ることの難しさと悦びを得る感覚は言葉にしがたい充実感を与えてくれるのだ。

改めて考えてみると、スポーツカーは今の私に足らないものが何かを常に問いかけてくる。真摯に向き合えば、魂を震わせるめくるめく体験をもたらしてくれるし、それを知るのか、知らないで終わるかは自分次第であることは人生そのものに似ていると思えてくるのだ。

文=藤島知子 写真=茂呂幸正

(ENGINE2025年12月号)

2026-01-09T22:37:03Z